明治初期古文書医学書教科●明治4年 医学生予科が勉強する学科リスト 4丁 大学東校東寮南○之下写 原祐民先生保管 長野県伊那市 231209

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日本醫籍録 第1版(醫事時論社, 1925)の中に「原祐民」という記載があり長野県の西春近村出身で、天保八(1837)年生まれとあります。現在の長野県伊那市になります。
地元では医学者として有名だということです。
初代陸軍軍医総監になった松本良順の配下にあって、明治2年に早稲田に開院された西洋式病院の蘭疇院に勤務し名称が東京医学病院(東京大学医学部の前身)に変わった時にも医師として勤務されていました。この時に書き写された医学書を多数出品致します。

大変貴重な資料です。
医学生になった生徒が最初に学ぶ教科について書かれています。
多くの方にご覧になって戴き貴重な資料がご研究のお役に立てればそして、故郷に帰る事ができれば大変嬉しいです。
サイズは17×24.1×0.1㎝です。
写真にあるスケールは全長17㎝です。
状態は経年によるシミヤケがあります。
発送は追跡可能なクリックポストを予定しています。

大学東校とは、
下谷御徒町の旧医学所跡に設置された。西洋医学教育を担当し、「本校」閉鎖後に制定された「大学東校規則・舎則」によると普通教育を履修する「予科」と、予科を修了した学生が進学する専門課程の「本科」からなり、両科はさらに正規課程を履修する「正則」と短期速修の「変則」に分けられていた。東校ではイギリス公使館附医師W・ウィリスを教師としていたこともあって当初はイギリス医学を中心としていたが、設立当初からドイツ医学採用を求める学内の声が高まり、明治4年(1871年)7月、「東校」への改称後、プロイセンよりミュレル・ホフマンらが招聘され教授として着任した。慶應義塾出身の松山棟庵(慶應義塾医学所校長、東京慈恵会医科大学創立者)も大学東校大教授として着任した。なお、この後も印東玄得などは慶應義塾医学所ではイギリス医学を試みた。
その後9月25日(新暦11月7日)、東校は南校と同様にいったん閉鎖したのち学則を改正して10月に再開、入学試験を実施して学力優秀者の再入学を許可した。さらに明治5年(1872年)7月、変則の全廃とともに予科・本科における学科・課程の改定が行われ、これ以後はドイツ医学への転換が進行することとなった。8月の「学制」制定により東校は「第一大学区医学校」ついで「東京医学校」と改称されたが、ドイツ医学重視の流れは東京大学医学部に継承された。
下谷の校地は東京医学校に継承されたが、その後、病院の所在地であった神田和泉町へ、ついで1876年(明治9年)に東大医学部の現在地である東大本郷校地に移転された。出典:ウィキペディア

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